ゼロスタジオ 代表さやか

こんにちは。唐津市浜玉町にあるエアロビクス、ヨガ、ZUMBAなど運動を通じて笑顔を提供するzero studioの髙原さやかです。

ゼロスタジオとは、「運動に縁がない人」「運動したいけどきっかけがない人」「きれいになりたい人」に運動を通じて喜んでもらえるスタジオです。

『普段、運動をしていない』『私にできるかな』そんな方でも心配いりません。スタジオでの運動は少人数制でわからないことは丁寧にお答えしますので大丈夫ですよ。

ここからは、わたしの中学時代から今に至るまでの物語です

良かったらご覧ください

ちゅうがく時代

私は、小さいころから運動が大好きでした。

中学では、部活で剣道をはじめ練習に明け暮れました。

やり始めたら、とことんやってしまう性格から3年生の夏、とうとう大きなケガをしてしまいました。

半月板損傷です。

私は歩くこともままならず、病院で手術を余儀なくされました。

『あー、私はこのまま、運動できなくなるのか』などわるいことを考えながら、

病院のベッドとリハビリを往復する日々がつづきました。

しかし、私は

『運がいい!』

病院の先生、看護師の方、中学の先生そして家族に支えられて驚異的な回復力をみせ、歩けるようになり、ケアをしながらではありますが運動もできるようになりました。

しかも奇跡はつづき、すごいことが起きました!

3年生はほとんど試合をしていないにも関わらず、とある高校からうちで剣道をしないかとオファーを受けたのです。

私は3秒考えて、この高校に行くと決断しました。(笑)

こうこう時代

高校生活は苦悩の日々でした。学校の寮に入り学校と部活の往復。

学校と剣道の稽古とつらい日々が続きました。

スポーツ科だったので

剣道、授業(運動)、剣道、剣道、授業(運動)とほぼ毎日、朝から晩までからだを動かしていました。

家に帰れるのは、盆休み3日、年末年始の5日しかありません。

そんな、寮生活を送っていた私の楽しみは、

  • 家族に会えること
  • 家族(お姉ちゃん)から録音したMDもらって音楽を聴くこと
  • 1週間に一回の朝ごはんのパンを食べること

【今はなき、MD】

当時はお姉ちゃん(田代陽登美)にお願いして「CHEMISTRY」を入れて聴いていました。

ちなみに、堂珍派です。

すごく、好きでした!

【1週間に一回の朝ごはんのパン】

寮生活ではお菓子は食べることができない。

甘いものが食べれなかったので、この朝ごはんの時は、シュガートースト(菓子パン風)にして食べていました。

この時間は

至福の時間

待ち遠しい日、うれしい時間でした。

しかし、すぐに現実に引き戻されて、部活、授業、運動、部活、部活に戻っていきます。

【家族と過ごす時間】

今までは、当たり前にいた家族

離れた時に大切な存在であることに気づくものですよね。

年に数回しか会えない家族と過ごす時間は、

癒し、

嬉しい、

落ち着く

そんな、時間でした。

そんな楽しみの時間は、一瞬で

高校時代のほとんどは、

すごくきつかった

それでもやっぱり、私は運動することが好き!

私は運動でみんなに元気になってもらう仕事ができたらと考えるようになり、

それから自分の将来像にフィットネスインストラクターを考えるようになったのです。

※フィットネスインストラクターとは、ヨガやエアロビクスなどの運動を通じて健康促進、楽しみ、笑顔を提供するサービスのことです。(私の解釈!)

せんもん学校時代

運動が好きな私は、フィットネスの専門学校に入学しました。

そして、初めての一人暮らし!

専門学校で運動や身体について勉強しながら、少しでも自立したいと思いバイトをはじめました。

カラダを動かすことが好きだったので、

「焼肉屋」

でバイト!

カラダ動かす関係ない(笑)

専門学校では、解剖生理学、トレーナーとしてのノウハウ、フィットネスインストラクターとしての教養を学び、フィットネスインストラクターとして働きたいと強く思うようになりました。

なぜ、フィットネスインストラクターになりたい!と思ったのか?

それは、

運動が好きだから!

高校の数学の授業は毎日、眠気との闘いでした。

しかしながら、専門学校で受ける授業は身体を動かし、身体について詳しく学べるのはとても楽しかったー。

それから、専門学校では楽しい仲間にも恵まれました。

最高の友達(ムルソーキ)です。

そんなこんなで専門学校を卒業、次は福岡のスポーツクラブで働きます!

トレーナー時代

専門学校を卒業後は、福岡でのスポーツクラブでトレーナー兼ジムスタッフとして働きました。

新天地の福岡、右も左もわからない環境で期待と不安が入り混じっていました。

最初は、トレーナーとしてがんばるぞ!

とは思ったものの、現実そう甘くはありませんでした。

【私のスポーツクラブでのイメージ】

スタジオの鏡の前に立ち、マイクとベルトをセット

スタジオの入り口でレッスンを受けてくださる方とおしゃべりをしながら出迎える

レッスンが始まるとスタジオ内の人、音楽が一体となって熱狂のうずにつつまれる(エアロビクスの場合)

レッスン後、タオルで汗を拭き爽快な顔でスタジオをあとにする会員さまにお礼を伝え、お見送りする

スタジオをモップで拭き、次の仕事に向けて準備をする

~ここからは現実に戻ります~

こんなキラキラした想いとは違いスポーツクラブでのお仕事は、

受付業務、スポーツクラブ内の清掃など私が思い描いてものとは、ぜんぜん違っていました。

「スタジオの温度が暑い」

「お風呂のマットが汚い」

「会員さん同士のトラブルの仲介」など

様々な問題が、雨のように降り注いできました!

知らない土地

独りぼっちのわたし

うまくいかないことばかりが積み重なって

自転車、通勤をしていたわたしは、元祖長浜屋ラーメンから港に向かっていく道中、泣きながら帰っていました。(福岡の人しかわからない!)

スポーツクラブでのお仕事はどれも大切

欠かせないもの

しかし、わたしはやっぱり身体を動かしたい!

そして、この思いをレッスンを受けてくれる方たちと共有したい!

そう覚悟を決めた私は、

スポーツクラブをやめフィットネスインストラクターになることを決断しました。

フィットネスインストラクター

フィットネスインストラクターになるために資格を取得

よし!これからフリーランス(個人事業主)としてがんばるぞ!

そう意気込んだものの、仕事はゼロ

フィットネスインストラクターとして実績のないため、どのスポーツクラブからも受け入れてもらえませんでした。

しかし、生活をしていかなければならない。

そのため、近所のパン屋さんでアルバイトをしながら、スポーツクラブのオーディションを受けました。

定期的にスポーツクラブが開催しているオーディションに応募したり、

自転車で移動している時にスポーツクラブを見つけると、電話してフィットネスインストラクターとしてレッスンをさせてもらえないか、お願いしたり、

フィットネスインストラクターの代行をしたりと、いろんな形でレッスンをさせてもらっていました。

※フィットネスインストラクターの代行とは、スポーツクラブでレッスンをしている人が休みを取るときに代わりに別のフィットネスインストラクターにお願いしてレッスンを行う仕組み。

そんなこんなで、レッスンをしているとだんだんと私のレッスンを受け入れてくれるスポーツクラブも増えていき。

週に10本ほどレッスンができるようになりました。

そして、同じようにフィットネスインストラクターとして働く仲間も増えていきました。同じ境遇にいるため、悩みを相談したり、焼肉に行って美味しいものを食べたり、カラオケに行ってストレスを発散したり、時間と想いを共有していました。

偶然にも私の姉(Hitomi)もヨガのインストラクターの資格を取得し、レッスンを同じようにはじめていたので、ジャンルは違えど同じフィットネスインストラクターとして働いていたので、よくごはん食べにいきました。

今では仲がいいものの、学生時代は口もききたくないくらい嫌いでした。それに怖かった。

それは、置いといて…

このフィットネスのお仕事をしていると、こんなことを言われたりします。

『こんなに楽しく動けて、レッスンを受けてよかったー』

『このレッスンに入ってから、身体の調子がいいのよー』

『このレッスンのために新しいウエアを買ったのよ。早く次のレッスンにならないなかなー』

とても、

ありがたいお言葉です!

このように、レッスンを受けて感想くれる方の

共通点

やはりそれは、

皆さん、とてもイキイキとしています!

フィットネスインストラクターはヨガであったり、エアロビクスであったり

運動を提供することが一番の仕事だと思っていましたが、

違っていました。

イキイキ

を提供しているです!

フィットネスインストラクターの仕事は運動を通じて楽しみであったり、生きがいであったり、笑顔を提供できる素晴らしい仕事だと感じています。

毎日が楽しくなる日常をお届けするために

zero studio(ゼロスタジオ)が生まれます!

新型コロナウイルスの脅威

2020年、悪夢が襲います。

新型コロナウイルスの脅威です。

世界中の人が外出を制限され、人と直接会う機会を奪われました。

私のレッスンはスポーツクラブで行うことがほとんどだったので、

一気に仕事はゼロに!

すべての環境が一変しました。

まるで、明かりの見えない真っ暗なトンネルに入ったようでした。

何もできない、

何をしたらいいかわからない?

真っ暗闇の中、ひとりポツンと立っている感じ…

しかし、

このままではいけない

家族の

支えもあって、いろいろと試行錯誤しながら、行動し始めます。

人との出会いで真っ暗なトンネルに光がさしてくるのを感じました。

ありがたいことにいろんな方に手を差し伸べていただき、どんどん進んで行きます。

あたらいしことにチャレンジすること

とても、気づきがたくさんあります。

b-i stylist

不動産屋さん

zumbaインストラクター(AFAA認定)

エアロビクスインストラクター

高原さやか

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA